子どもの心の傷は大人になったら癒えるのか?
面前DVとは、子どもの前などで夫婦間の諍いや暴力を見せることを言います。
肉体的な暴力もありますし、モラルハラスメントなどの精神的な暴力もあります。
実は私の育った家庭では、当たり前のようにそれらがありました。
そんな家庭で育った子どもが大人になって、どんなことを考えるようになったか。
乗り越えることはできたのか?
今回このような告白めいた記事を書くことで、今現在、苦しい思いをしている方に届けることができればと思い書きました。
ただ、非常に不快な表現や刺激的な描写があるかもしれません。
苦手な方はここまでにしてください。
生まれて最初の記憶は1才の時
私の生まれて最初の記憶は、父が母を殴っている姿でした。
眠っていた私のいる室内で、父が母を引きずりまわし、悲鳴を上げる母。
そんな物音で目を覚ました私。
その様子はとても恐ろしく、小さかった私は息を殺して動けませんでした。
よほどの衝撃だったのでしょう、その時の記憶が今でも残っています。
ただ、いつのことなのかあいまいだったのです。
3才?4才?
このことを大人になってから母に確認したところ、なんと1才10ヶ月の時のことだというのです。
そんなに小さいのに、記憶に残ることがあるのか?
すぐには信じられませんでした。
年齢がはっきりわかったのは、この夜の出来事が、母にとっても衝撃的で記憶に残っていたから。
なぜなら、このあと命の危険を感じた母は、私を抱きかかえて親戚の家まで逃げたそうなんです。
そして、それほどの目に合わされたのは、その時だけだったそう。
しかし、この大きな出来事を、私は大人になるまですっかり忘れてしまっていたのです。
あることがきっかけで、すべてを突然思い出したのですが、それまでは本当にキレイサッパリ忘れていました。
機能不全家族だったわが家
父は酒飲みでギャンブルが好きな人でした。
ギャンブルは、パチンコ、競馬、マージャン。
酒は家でも飲みますが、外で飲み歩くのが日課のようになっていましたので、父が家に居る時間は短いのですが、その時間はとても濃厚でした。
もちろん良い意味ではありません。
緊張と恐怖がともなう時間だからです。
私の育った家の食卓は、両親の会話は無いのがあたりまえでした。
会話といえば、父が母や私に対して言いたいことを一方的に話すことがほとんどでした。
そして、その返事や態度が気に入らないと腹を立て、怒鳴りちらして飲みに出て行くか、暴力をふるうかのどちらかなのです。
機能不全家族のアダルトチルドレン
大人になってから知りましたが、こういう家族のことを「機能不全家族」と呼ぶそうです。
機能不全家族とは、家庭にあるべき団欒などの欠如や、暴力などの影響で健全に機能していない状態を指すそう。
そして私は、「アダルト・チルドレン」ということになるようです。
「アダルト・チルドレン」とはAdult Children of Alcoholics(アダルトチルドレン オブ アルコホリックス)のことで、アルコール問題を抱える家族の下で育った人のことを指すそうです。
子どもの頃から蓋をしていた恐怖心
子どもだった私は、親の元に居なくては育つことが出来ないと無意識に感じていました。
親がいなければ、ごはんを食べることができない。
寝るところもなくなる。
なので嫌われてはいけない。できるだけ。
もちろん思春期になると変わってきますが、小さな頃は必死に親の仲を取り持とうとしていました。
父がいつも機嫌よくしていられるように、おどけて笑わせたり、空気を読みながら甘えたり、とにかく必死でした。
常に父の顔色をうかがい、機嫌のよさそうな表情をみるとホッとし、イラだっている時には、ほんとうに胃が痛くなりました。
そんな日々を過ごしていた私にとって、幼い頃の恐怖の記憶などはけっして開けてはいけないパンドラの箱だったのかもしれません。
これ以上の負荷をかけると心が壊れてしまう。そんなストッパーが働いたのかもしれません。
つらい記憶のほとんどを忘れていました。
モラルハラスメントを見て育つ子どもの心の傷
当時の母親は、いつも父親に怒られていました。
そのうち私は、暴君の父ではなく、母に腹を立てるようになっていきました。
父を怒らせるようなことをいつもする母に対して、家庭の空気を乱す原因のように感じていたのです。
残酷なことに、その頃の私は母のことを父が言っているように
「能無しのクズ」
「生きている資格が無い」
そんな人間だと信じるようになってきていました。
自分の母親のことなのに。
父が酷かったのは、母に対する攻撃だけではなく、子どもが母に抱く感情を歪ませてしまったことでもあるのです。
こんな風に、モラルハラスメントを見て育つ子どもの心は傷つきます。
そんな母は母で、私に鬱憤をぶつけていました。
そんな母についての記事も書いています。
母になったアダルトチルドレンが感じたこと
そんないびつな家族を持っていた私も、縁あって結婚し、アダルトチルドレンだった私は、母になりました。
子どもはとても愛しく可愛い存在でした。
初めての子育てで慣れないせいもあり、ツラいと感じることもありましたが、とてつもない充実感で満たされる日々。
私は、子どもの成長とともに、自分が変わっていくのを感じました。
表現が難しいのですが、少しずつ自分の心が開いていくという感覚なのです。
それまでの私は、生い立ちや家庭環境に対してのコンプレックスが強く、自分の事を話すことが極端に苦手でした。
つまらないことや冗談などは、場の中心になっていつまでも喋っているような事もあるのに、自分の事になるととたんに話せなくなってしまうのです。
それに、元気のスイッチが切れてしまうと何も話したく無くなるのです。
振り返ってみると、かなり不安定な人間ですね。
そんな私は、結婚して穏やかな暮らしを手にいれることができたからか、自分の子ども時代の事をよく思い出すようになりました。
そんな時に、一番最初に思い出したのが冒頭でお話しした、1才10ヶ月の記憶だったのです。
突然頭のなかにその日の映像が浮かび
「あっ!こんなことがあった!」
と、叫びたくなる強さで思い出したのです。
不思議なことにそれはちょうど、自分の子どもが1才10ヶ月の時でした。
自分の出産で開いたパンドラの箱
その映像は、とても鮮明に脳内で再生されました。
父が母を殴っている姿。
布団の中で固くなり寝たふりをする私。
その時の気持ちも思い出しました。
母が可哀想で助けたいのに助けられない無力感。
自分も殴られたらどうしよう。
母が死んだらどうしよう。
何もできない。
嫌だ。
怖い。
言語化はしていなかったのでしょうが、そういう「気持ち」をはっきりと自覚しました。
自分自身で一番驚いたのは、そんなに強い思いを抱いた出来事をキレイサッパリ忘れていたことと、それをこんな34年も経ってから思い出すということが信じられませんでした。
そして、そのあとは、何度も何度もこの場面を思い出して胸が苦しくなる日々を過ごしました。
突然腹が立ったり、悲しくなって涙を流したり。
幸い子どもに当たるようなことはありませんでしたが、もしも夫婦関係の問題や他の悩みがあって自分に余裕が無い状態であればどうだったかわかりません。
暴力の負の連鎖が起こっていたかもしれません。
私は自分自身の事を、他の穏やかな家庭で過ごしてきた人よりも危うい存在だと感じています。
普通の人間の皮を被っていても、あの父の娘なのだという自覚が常にあります。
面前DVは、こんなに時を経ても子どもの心を苦しめます。
絶対にダメです。
これが私の生まれて最初の記憶の体験談です。
そして、機能不全家族で面前DVの被害者だった子どもが母になって感じたことなのです。
どうか、こんな悲しい記憶を持つ子どもが一人でもいなくなるように願っています。
機能不全家族育ちにおすすめの本「毒になる親」
機能不全家族育ちにおすすめの本があります。
「毒になる親」
この本から私は決定的な気づきをもらいました。
DVやアルコール依存症などのわかりやすい親だけがひどい親なのではないのです。
見えない支配をするというのも子どもの心を苦しめるのです。
私の家庭はいくつも当てはまってびっくりしました。
自覚が無かったところまで気づかされたので、自分の心に向き合うことが難しくなくなりました。
Kindleでも読むことができます!
とにかく、この本のレビューを読んでみてもらいたいです。
こんなにも苦しんでいる人がいるのかと驚きます…
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