同居前の夫婦と子ども達だけでの暮らしは幸せでしたが今は…
夫の父親、つまり舅と同居して3年目のわが家なのですが、それまでは夫と子ども3人とともに、家族5人だけで賃貸マンションに暮らしていました。
義実家とは近居で、お互いの距離感もちょうどよく、仲良くやっていました。
そんな生活を約10年続けていましたが、理由あって同居することになりました。
そうすると、とたんに関係性は変わってしまい、とても険悪な状態になってしまいました!
そんなわが家が、どうして同居することになってしまったのか。
なぜ、そのまま近居で暮らすわけにはいかなかったのかというお話です。
これから舅、姑と暮らす可能性のある方の参考になれば幸いです。
儀実家とは近居でした
息子は嫁をとったら親と同居するもんだという考えのもとに育てられた夫。
義理父の希望としては、結婚即同居だったようなのですが、さすがにそれは無いということで義実家の近くの賃貸マンションに住むことになりました。
私は結婚する時に夫から、両親のどちらかが他界するようなことになれば、自分は親と同居しなければならないと聞かされていました。
義理親と私は、その頃は仲良く交流していましたので、そんな時が来れば支えてあげなくてはと考えていました。
義母の突然死
そんな風に過ごしていた、私達夫婦と義理親でしたが、結婚9年目のある日、義理母が病気のため突然死のような形で他界してしまいました。
60代とまだ若く、予想していなかった展開にうろたえる私達。
そして、炊事洗濯などの生活能力も無ければ、経済的な支払い能力もない義理父が残されたのでした。
負の遺産親子ローン
残ったのは、義実家のローンと義父でした。そしてそのローンは義父の一存で組まれた、夫との親子ローンだったのです。
その親子ローンの支払いは、義理親がすべて負担していました。
なので、夫は私達の生活だけを考えれば良いという状態だったのです。
なんとかやっているんだろう。そんな風に考えており、義実家の懐事情を完全には分かっていませんでした。
それが後に、とんでもない結果を招いてしまうのですが、このときはわかっていませんでした。
そして、その親子ローンがあるがために、こんな不利益も被っていました。
それは自分達で新たにローンを組むことはできないということです。
そんな理由で、10年間賃貸マンションに住むことになっていたのです。
私はそれほどマイホームに固執しない方なのですが、選択肢を奪われたという意味で不自由な思いをさせられたと思っています。
ですが、このときはまだ、今のように恨んだり憎らしく思ったりすることはありませんでした。
人生、上手く行かないことなど、ままありますから。
義父だって、こんなはずでは無かったと考えているだろうと思ったのです。
しかし、後にこのような話を聞いて、その印象は180度変わってしまいました。
実はお金が無かった義実家
息子、つまり私の夫が20才の時に、親子ローンで中古住宅を購入した義父。
そのわずか数年後の60才の時に突然商売をたたみ、隠居宣言。
確かに60才定年時代だったので、その感覚は当時は間違っていないかも知れないのですがローンという借金持ちの身で、何を言っているのか初めて聞いたときは意味がわからなかったです。
会社員ならいざ知らず、自営業なのだから続けようと思えば続けられたのに。
もしかしたら相当な赤字が出ていて続けられなかったのかもしれませんが、プライドが高い人なのでそんなことは話してもらったことはありませんが、想像できます。
そして、それならそれで何か仕事を見つければよかったのに、義父が、亡き義母に宣言したのはこうだったそうです。
「定年の時期が来たので隠居する。支払いなどの煩雑なことは任せた。お前のやりくりでなんとかしてくれ。」
義父よりも10才以上若かった義母はパートをかけもちして義父の年金だけでは足りない家のローンを、必死に返済。
もちろん生活費も稼がなくてはなりません。
その間、義理父はゴルフ、釣り、飲み会など自由きままな生活を続けていました。
しかしそんな内情は、外から見ていても、わかりませんでした。
支払い能力のない義父
そんな暮らしぶりの中、義母が亡くなってしまいました。とたんにローンが払えなくなった義父。
ローンの支払いに足りない年金。
もちろん生活費はありません。
そして、ふたを開けてみれば貯金はほぼゼロ。
昔たくさん稼いだ自慢話をさんざん聞かされていたのに…
おそらくは、義父の身の丈にあわない暮らしぶりのために散財してしまい、こうなってしまったのでしょう。
あまりにも違った外面と内面
結婚当初の私の義両親の印象は、働き者で気が利く義母さんと、おおらかで気のいい義父さんだったのでした。
当時の私から見た義父は優雅な年金生活を謳歌しており、充実した老後を送っているように思えました。
しかしそれは偽りの仮面の姿だったのです。
義父のぜいたくは、義母の献身的な犠牲のもとに成り立つ砂上の楼閣だったのです。
現実は、借金(ローン)のために昼夜を問わず休む事なく働かされていた義母と、その姿を見ても何も感じずに好き放題やっている義父。
内情を知ったのは、義母が亡くなってからでしたが、義父の、そのあまりにも違った外面と内面に戦慄しました。
そんな義父に対して、文句を言いながらも従っていた義母はコントロールされていたのか、それとも子どもや孫に対する責任感だったのかはわかりませんが、その片鱗は伺えることがありました。
モラハラで毒親の義父
私たち夫婦は、義実家と近居ということもあり、しょっちゅう夕食に招かれていました。
大抵は楽しく会話し、鍋や焼肉などの食事を楽しんでいたのですが、時々そうではないことがありました。
義父は気に入らないことがあると口を訊かなくなり、食事をほとんど取らなくなるという態度をとることがあったのです。
そんな態度をとられ、おろおろする義母。
私なら放っておけばいいと考えるところなのですが、義母は違いました。
いろいろと気遣って話しかけては無視されている姿を何度も見たことがあります。
その動揺ぶりからすると、過去にそれ以上の何かがあったのかもしれません。
このように周囲からは分かりにくい形であるけれど、人をコントロールしようとする義父とコントロールされているように見えた義母。
私の実の父とは違うタイプだったので、なかなか気がつきませんでしたが、この義父も確実にモラハラ男で毒親であろうと思われます。
私の父はとてもわかりやすいDV男でしたその時の記事
しかし、当時は義理の親の事を悪く思ってはいけない。自分が穿った見方をしているだけだ。こんな風に考えていました。
結果的にその考えは間違いで、自分の感じたことが正しかったのですが。
夫の姉と妹は「同居は無理」
夫には、姉と妹がいます。
それぞれ嫁いで子どももいます。
近頃は、娘夫婦と同居というパターンの場合が多いですが、わが家は違いました。
姉妹どちらも、1人になった義父とは一緒に住むことは出来ないと常々言っていましたし、「跡継ぎは息子」と言っていた義父でしたので「娘と住む」または「ひとりで暮らす」ということは家族の誰もが想像もできなかったようです。
同居を進めなくてはならなくなり、話をしたときにこんなことを言われました。
あ、親族会議のような話し合いをしたわけではありません。
わが家が同居するということは決定事項のように誰もが考えているような状態での、雑談の中での話しです。
「うちは無理だわ~」
というこんな軽いノリで。そして口々に
「父とは性格が合わない」
「母なら同居を考えたが父は無理」
などとムリムリの大合唱。
そりゃそうでしょうよ。モラハラで毒親なんだから。
姉妹にモラハラや毒親というはっきりとした自覚はなさそうでしたが「性格が合わない」というぼんやりとした違和感として感じ取っていたようです。
私もこの同居前の時点ではまだ義父の本性をわかっていませんでしたので
「そうか、性格が合わないのか」と呑気に考えていました。
そして最後には
「でも父がひとりで住むのはかわいそう」
「夫とやすちんさんはえらいわあ。同居してくれるなんて!」
こんな風に、周りから追い込まれたことも同居に至った理由のひとつです。
貧乏くじの夫と私
このような経緯で義父と同居することになったわが家。
貧乏くじの夫と私。特に私。
どうか反面教師になさってください。
どんな人間かは、外から見ていてもわからないかもしれません。
同居してしまってからムリだと気づいても遅いです。
最後にひとこと。
好き好んで同居する嫁はなし。
ありがとうございました。
厄介な義父母との対決(対峙)方法の書いてある本の紹介&感想を書いています。
よかったら読んでみてください。
参考になるかも!?
同居関連でよく読まれている記事